2007年01月16日

近藤等則ブログ連載 第3話

第3話

1981年の夏、初めて中国へいった。
義理の兄のさそいで、京都の呉服問屋のグループと共に、上海→蘇州→杭州→上海と廻った。上海最後の日、ホテル近くの中国伝統楽器店で、オレはチベタンシンバルを手に入れた。
「中国がチベットに侵攻した時、若い兵士がラサのチッベト寺院から勝手にもって帰ったものです。お客様なら買っていただけるか、と思いまして」
と、その店のボスが古びた新聞紙の包みからチベタンシンバルを取り出した。ホテルの部屋でチベタンシンバルを手にすると、UFO型の内側の窪みがホコリで汚れていた。ふきとると、文字が見えた。

 「松五郎」
オレのひいじいさんの名前じゃないか。 
「あんたのひいじいさんの松五郎さんはねえ、波止浜の塩を大阪まで運ぶ船をやっとたんよ。その船である日でていったっきり、帰ってこんかったんよ。あんたは何かひいじいさんに似とるけん気をつけにゃいかんよ」
と、小さい頃おふくろに言われたのを思い出す。
曾祖父はチベットのラサにいって、チベット仏教僧になったにちがいない。
オレの体の奥深くから、「ラサへ行け」という声がきこえた。
上海から鉄道とヒッチハイクで2週間後、ラサにたどりついた。
外国人観光客がラサに行くのは禁じられていたので、オレは人民服を着て中国少数民族系になりすましていた。あてもなくラサの道をブラブラしていると、突然チベット人の老婆に声をかけられた。まじまじとオレの顔をみながら、口に出したのはたどたどしいが、日本語だった。

 「あなた、コンドーか」
びっくりして、うなずくと、
 
 「ついてきなさい」
ラサの丘の中腹にある質素な家に入ると、たなの上の古びた木箱から手紙を取り出して、オレに渡した。
「その手紙は松五郎からあなたへのよ。わたしは松五郎の娘。”きっとヒ孫が来るから、この手紙をヒ孫に渡してくれ”といって松五郎はなくなったのよ。」

手紙をあけた。

「ヒ孫よ、よくラサまで来た。オマエの想像通り、瀬戸内海から抜け出して中国沿岸に着き、そこで船を売って馬を買い、ラサまできたのじゃ。ワシがチベット仏教僧になったのは、チベット仏教音楽にひかれたからじゃ。そしてある秘密にたどりついた。太鼓の文明から伝わる“聖なるメロディ”がある。チベット仏教音楽の中にはその1/5が伝わっているが、あとの4/5が行方不明なのじゃ。オマエはこれからますます世界を旅することになるが、それは失われた4/5のメロディを探し出す旅なのじゃ。オマエの旅が成就するよう、ワシはいつも祈っておる。 松五郎より」


posted by 近藤等則 at 03:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 近藤等則ブログ連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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